HOT STUFF 1
  
HOT STUFF
―――《俗》 特にすぐれた人(物)。熟練者、多情家、情熱家、センセーショナルな作品、あつかましい人


「先輩、先輩!」
 休み時間。聞き慣れた声に顔を上げると、譲が教室の入り口から望美を呼んでいた。
「どうしたの、譲くん?」
 あと10分もしないうちに始まるはずの英語の小テストのために見ていた単語集を閉じる。廊下に出ると、譲はあせったようすで手に持った雑誌の1ページを指し示した。
「先輩! これ見てくださいよ」
「え、どれ? うわっ!」
 ページの左隅に目をやり望美は素っ頓狂な声を上げた。
「なななにこれ、知盛!?」
「やっぱりそう思います?」
『オフには力を抜いて―――』
 そんなキャプションのついた、5センチ四方ぐらいの小さな写真。
 シンプルな白いシャツ、サンドカラーのチノパンツ。風にふわりとなびく銀髪とやや細められたまなざし。海を背景に、どこか遠くを見つめて立つ姿である。知盛のこの服装と背景から思い出すに、しばらく前に望美と海岸まで出かけたときのものだろう。
 そのページは、街を行く素人を取り上げてあるもので、他にも幾人もが掲載されている。だからことさら知盛が目立つわけではない。わけではない……が。
「かっこいい……」
 うっとりつぶやく望美を、譲は何とも形容しがたい顔で見やった。
 知盛が「望美の彼氏」だということは譲にもわかっている。わかっているが、理解することと受容することは別なのである。
 幼いころからの憧れの女性が、こともあろうに何だかよくわからない男、それは確かに顔はいいし、あっちではものすごく強い武将だったかもしれないが、望美にくっついて現代にやって来てからは、食って寝てゴロゴロしているだけのニート、有川家の居候で昼近くまで寝ていて、起きたら起きたでぼーっとするばかりで食事は譲の作るものに頼りっぱなし、なのに皿洗いひとつ手伝うでもないぐーたらかつ傍若無人男とくっついてしまった。
 こんなののどこがいいのかと思うが、憧れの先輩はそのロクデナシが大好きで、当の知盛も彼女の言うことならぶつぶつ文句を言いつつも何とか聞く……というあんばいである。
 しかもそんなふたりの仲がどこまで進展しているのかと考えると夜も眠れなくなってしまう、有川譲、青春まっさかりの16才なのであった。
 だいたい知盛は年がら年中オフで休日みたいなものだろう。今さら「力を抜いて」でもなかろうに……。
「これ、どうしたの?」 
「え、ええ。友達が持ってたんで、パラパラめくってたら、偶然に」
 表紙を見れば、かなりメジャーな男性ファッション誌の今月号だ。ターゲットは20代から30代始め。カジュアルだけでなく、ちょっとリッチな大人のファッションを標榜している。
 望美たちの背後からよく知った声が聞こえた。
「おう、おまえらどうしたよ、そろそろ休み時間終わりだぜ? 譲、教室戻んなくていいのか」
「兄さん」
 現れた将臣の手には辞書。持ってくるのを忘れて知り合いにでも借りに行ったものとみえる。将臣は望美の手にある雑誌に気づくとのぞきこみ、お、と声をあげた。
「知盛じゃねーの。へえ、けっこう映りいいじゃないか」
「……兄さん、あまり驚いてませんね」
 いぶかしげな譲に将臣は微妙な顔をした。
「んー、まあ、な」
「そういえばここのところ、知盛さんにいろいろと携帯かかってきてたみたいだったしな。兄さん、何か知ってるんですか」
「あー、それはな……」
 だがその時チャイムが鳴った。
「やばい! じゃ、俺、戻りますから」
「ごめん譲くん、この雑誌貸してて!」
「はい!」
 昨日発売の雑誌なので、友人が渋い顔をするのはわかっていたが、望美の願いとあらば何をおいてもそれをかなえずにはいられない譲である。
 望美は教室の中に戻りながら、知盛の載っているページをちらっとまた見た。
(やっぱり格好いいけど、いつの間に……。知盛はこのこと知ってるのかな)
 席についてテスト用紙が配られ始めてもどうにも落ち着かない。小テストの成績は、惨憺たる結果になりそうだった。




 下校時刻になると、望美は家にすっ飛んで帰った。譲は部活で将臣はバイトだ。将臣と譲の父親は海外赴任、母親もそのもとに行っているので、有川家には今は知盛しかいないはずだった。
「こんにちはぁっ!」
 望美が勝手知ったる居間に入った時、知盛はソファに横になって園芸の本を読んでいた。内容に本当に興味があるのかないのかわからないが、ひまつぶしらしい。息を切らす望美に知盛は眉を上げた。
「どうした……。俺に会いたくて、息も絶え絶えかな、神子殿は?」
「ちっがーう。それより知盛、これ!」
 望美がかばんの中から出した雑誌を知盛は興味なさそうに一瞥し、何だと言いたげに望美を見た。
「ここ、ここ!」
 望美がページをめくり、問題の箇所を強く指差す。だが知盛は望美ががっくりくるくらいに無反応である。
「……ああ。出たのか」
 その答は、知盛は写真を撮られたのも掲載されるのも知っていたということだ。
「それだけ? もう、私も譲くんもほんとびっくりしたんだから!」
 望美は知盛に雑誌を押しつけるように渡すと、台所に飲み物を取りに行った。思い切り走ってきたので喉が渇いている。自分用にアイスティー、知盛にはブラックコーヒーを淹れてソファに戻る。興味なさそうに他のページをぱらぱらとめくっている知盛から雑誌を取り戻し、もう一度例の箇所を開いた。
「これ、いっしょに出かけた時のでしょ? 写真取られてたなんて、ちっとも知らなかった。ひとこと教えてくれてもよかったのに。譲くんが気づかなかったら見逃しちゃったかもしれないし」
「……怒るなよ。そんなにたいそうなことか? 俺はただ立っていただけだぜ……。写真とやらを撮るも撮らぬも、俺の知ったことではないさ。雑誌に載せていいかと聞かれたから好きにしろとは答えたが……」
 そういえば知盛に「雑誌とはいったい何だ?」なんて聞かれたことがあったっけ。それはこのときじゃなかったかな? んもう! ぷんぷんしている望美にかまわず知盛は淡々と続けた。
「それにまた、 載る」
「え」
 アイスティーを口に運ぼうとした動きが止まる。
「どういうこと?」




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